お菓子の歴史 第二部 ヨーロッパの菓子の物語
産業革命とチョコレート
時代:18世紀後半〜20世紀初め
はじめに
18世紀の後半、イギリスで産業革命が始まった。蒸気機関が生まれ、それまで人の手や馬、水車の力で行っていた仕事を、機械が代わりにするようになった。工場では、同じ品質の製品が、大量に、安くつくられるようになった。
産業革命は、お菓子の世界も大きく変えた。その代表がチョコレートである。第4章で学んだように、大航海時代にヨーロッパへ渡ったチョコレートは、長い間「飲み物」であった。それが19世紀、次々と生まれた発明によって、私たちがよく知る「食べるチョコレート」へと生まれ変わった。ココアパウダー、板チョコ、ミルクチョコレート、なめらかな口どけ。今のチョコレートの基本は、ほとんどがこの時代に生まれている。
また、この時代には、ビスケットが工場で大量につくられて缶に詰められ、ベーキングパウダーや冷凍機が発明され、菓子づくりの道具と材料も大きく進歩した。
本章では、産業革命の中で生まれたチョコレートの発明の数々と、工場でつくられるお菓子の始まり、そして菓子づくりを変えた新しい技術をたどる。
1. チョコレートの「4つの大発明」
1-1. 飲み物だったチョコレートの悩み
19世紀の初めまで、チョコレートは、焙煎したカカオ豆をすりつぶしたもの(カカオマス)を、お湯や牛乳にとかして飲むものであった。
カカオマスには、カカオバターという脂肪が、半分以上もふくまれている。そのため、飲み物にすると、表面に脂が浮き、重たく、胃にもたれやすかった。また、固めて食べようとしても、ざらざらして、口どけが悪かった。
この悩みを解決していったのが、19世紀の4つの大きな発明である。
| 年 | 人物・会社 | 発明 | 意味 |
|---|---|---|---|
| 1828年 | ファン・ハウテン(オランダ) | カカオマスからカカオバターをしぼり取る圧搾機 | ココアパウダーが生まれる |
| 1847年 | フライ社(イギリス) | しぼったカカオバターをカカオマスと砂糖に加えて、型に流して固める | 食べるための板チョコが広まる |
| 1875年 | ダニエル・ペーター(スイス) | 練乳(コンデンスミルク)を加える | ミルクチョコレートが生まれる |
| 1879年 | ロドルフ・リンツ(スイス) | 何時間も練り続けるコンチング | なめらかな口どけが生まれる |
1-2. ファン・ハウテンとココアパウダー
1828年、オランダのファン・ハウテン家は、カカオマスから、圧搾機を使って脂肪(カカオバター)をしぼり取る方法の特許を取った。脂肪を減らしたカカオを粉にしたものが、ココアパウダーである。ココアパウダーは、お湯や牛乳にとけやすく、胃にもたれにくい飲み物になった。
ファン・ハウテン家は、ココアパウダーにアルカリを加えて、苦味や酸味をやわらげ、色を濃くし、とけやすくする方法(アルカリ処理、ダッチプロセスともいう)でも知られる。ただし、この方法が1828年の特許にふくまれていたかどうかは、はっきりしない。アルカリ処理をしたココアが広まったのは、1860年代のことである。
1-3. 板チョコの誕生
ココアパウダーをつくると、しぼり取ったカカオバターが余る。このカカオバターを、カカオマスと砂糖に加えると、なめらかに流れる生地になり、型に流して固めることができる。
イギリスのブリストルのフライ社(1761年創業)は、1847年、こうしてつくった食べるための板チョコを売り出した。これは、イギリスでもっとも早い時期の板チョコとして知られる。
ただし、フライ社の板チョコが「世界で初めて」だったわけではない。スイスのカイエは1819年に固形のチョコレートをつくり、フランスのムニエは1836年に、6つに区切った板チョコを売り出していた。19世紀の前半、ヨーロッパの各地で、チョコレートを「食べるもの」にする工夫が進んでいたのである。
1-4. ペーターとミルクチョコレート
スイスのヴヴェイのダニエル・ペーター(1836〜1919年)は、チョコレートに牛乳を加え、まろやかな味にしようと考えた。しかし、これはとても難しかった。牛乳には水分が多く、チョコレートに加えると、うまくまざらず、すぐにカビが生えてしまったのである。
ペーターは、何年も試行錯誤を重ねた。そのヒントになったのが、近所に住んでいたアンリ・ネスレの技術であった。ペーターは、水分を減らした練乳(コンデンスミルク)を使うことで、ついに1875年(1876年とする資料もある)、ミルクチョコレートの完成にこぎつけた。商品として売り出したのは、1887年である。
ミルクチョコレートは、その後、スイスのチョコレートの代名詞となり、世界中で愛される味となった。
1-5. リンツとコンチング
1879年、スイスのベルンのロドルフ・リンツは、チョコレートの生地を、何時間も、ときには何日も練り続ける機械を考え出した。この工程をコンチングという。
コンチングをすると、チョコレートの粒子がより細かくなめらかになり、いやな酸味や香りが飛び、口の中ですっととける、なめらかなチョコレートになる。
| コンチングの効果 | 内容 |
|---|---|
| なめらかさ | 粒子の角がとれ、カカオバターが全体を包み、ざらつきがなくなる |
| 香り | 酸味のもとになる成分や水分が飛び、香りがよくなる |
| 口どけ | 口の中で、すっととけるようになる |
コンチングの発明については、「リンツが週末に機械を止め忘れて帰ったら、月曜日の朝、つやつやで香りのよいチョコレートができていた」という話が伝えられている。リンツの会社自身も紹介している人気の話だが、本当にそうだったのかは確かめられていない。
1899年、リンツの工場は、チューリッヒのシュプリュングリに買い取られ、「リンツ&シュプリュングリ」となった。
2. チョコレートの会社と工場
2-1. キャドバリーとボーンヴィル
イギリスのキャドバリーは、1824年、ジョン・キャドバリーがバーミンガムに開いた店から始まった。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1824年 | バーミンガムで創業 |
| 1866年 | オランダ式の圧搾機を使った、改良したココアを売り出す |
| 1875年 | 最初のイースターエッグのチョコレート |
| 1879年 | ボーンヴィルに工場を開く |
| 1905年 | ミルクチョコレート「デイリーミルク」を売り出す |
| 1919年 | フライ社と合併する |
キャドバリー家は、工場のまわりに、働く人々のための住宅や公園、学校などをそなえた町(ボーンヴィル)をつくった。働く人の暮らしと健康を大切にした、当時としては先進的な取り組みであった。
一方で、1908年には、キャドバリーなどが使っていたアフリカのポルトガル領のカカオ農園で、事実上の奴隷労働が行われていると報告され、大きな問題になった。チョコレートの甘さと、カカオをつくる人々の苦しみの問題は、20世紀にも続いていた(第4章参照)。
2-2. スイスのチョコレート
スイスは、19世紀に、チョコレートの技術の中心となった。
| 年 | 人物 | できごと |
|---|---|---|
| 1819年 | カイエ | ヴヴェイの近くに、機械化したチョコレート工場を開く |
| 1826年 | シュシャール | ヌーシャテルに工場を開く。砂糖とカカオをまぜる機械を考え出す |
| 1875年 | ペーター | ミルクチョコレート |
| 1879年 | リンツ | コンチング |
| 1908年 | トブラー | 三角形のチョコレート「トブラローネ」を売り出す |
山の豊かな牧草地で育った牛の牛乳と、技術者たちの発明が、スイスをチョコレートの国にしたのである。
2-3. アメリカのハーシー
アメリカでは、ミルトン・ハーシーが、チョコレートを大量につくって、安く売ることに成功した。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1893年 | シカゴ万国博覧会で、ドイツ製のチョコレートの機械を見て、チョコレートづくりを決意する |
| 1894年 | ハーシー・チョコレート社を創業 |
| 1900年 | ミルクチョコレートのバーを売り出す |
| 1907年 | しずく形の小さなチョコレート「キスチョコ」を売り出す |
ハーシーも、工場のまわりに、働く人々のための町をつくった。この町は、のちに「ハーシー」という名前になった。
3. テンパリングの科学
チョコレートを溶かして固め直すとき、ただ冷やすだけでは、表面が白くくもったり、つやがなく、口どけの悪いチョコレートになったりする。つやがあり、パキッと割れ、口の中でなめらかにとけるチョコレートにするには、テンパリング(温度調整)が必要である。
カカオバターは、固まるときに6種類の結晶の形をとることができる。そのうち、つやとパキッとした割れ、なめらかな口どけをつくるのは、V型とよばれる結晶だけである。V型の結晶は、約34℃でとける。テンパリングは、温度を上げ下げして、このV型の結晶だけをそろえる作業である。
職人たちは、経験から、テンパリングの方法を受け継いできた。その仕組みが科学的に解き明かされたのは、1970年代のことである。
4. 工場でつくるお菓子の始まり
4-1. ビスケットと缶
イギリスの町レディングで、1822年に創業したハントリー&パーマーズは、のちに世界最大のビスケット工場となった。
ハントリー&パーマーズのビスケットは、馬車で旅をする客のために、割れたり湿ったりしないよう、金属の缶に詰めて売られた。美しい絵のついたビスケットの缶は、会社の宣伝にもなり、世界中に輸出された。
ハントリー&パーマーズのビスケットは、イギリスのスコットの南極探検隊(1910〜1913年)にも納められた。2017年、南極のアデア岬にある探検隊の小屋の近くで、ハントリー&パーマーズのフルーツケーキが、缶に入ったまま見つかった。約106年前のケーキは、「ほとんど食べられそうな」状態で残っていたという。
4-2. 粉とパンの工業化
19世紀には、パンや菓子の材料も、工場でつくられるようになった。
| 技術 | 内容 |
|---|---|
| ローラー式の製粉機 | 鋼鉄のローラーで小麦を細かくひき、白い小麦粉を大量につくれるようになった |
| 圧搾酵母(生イースト) | フランスの科学者パスツールの研究などにより、発酵が微生物(酵母)の働きであることがわかり、工場でつくられた酵母が売られるようになった |
| 蒸気機関・機械 | カカオ豆をすりつぶす、生地をまぜる、ビスケットを型で抜くなどの作業が機械化された |
イギリスのフライ社は、すでに1795年に、蒸気機関を使ってカカオ豆をすりつぶす方法の特許を取っていた。
4-3. ベーキングパウダー
イーストを使わずに生地をふくらませるベーキングパウダーも、19世紀に生まれた。
| 年 | 人物 | できごと |
|---|---|---|
| 1843年 | イギリスのアルフレッド・バード | ベーキングパウダーを考え出す。妻が卵とイーストのアレルギーだったため、それを使わずにパンをふくらませる方法を探した |
| 1856年 | アメリカのホースフォード | リン酸を使ったベーキングパウダーの特許を取る |
| 1890年代〜 | ドイツのエトカー博士 | 家庭で使いやすい小袋のベーキングパウダーを売り、広める |
ベーキングパウダーは、重曹(炭酸水素ナトリウム)に、酸性の材料などを合わせたもので、水分や熱によって炭酸ガスを出し、生地をふくらませる。家庭でも手軽に焼き菓子をつくれるようになった。
4-4. 冷凍機とゼラチン
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1845年 | アメリカのピーター・クーパーが、ゼラチンのデザートの特許を取る |
| 1873・1876年 | ドイツのリンデが、冷凍機をつくり、のちにアンモニアを使った実用的な冷凍機を完成させる |
| 1897年 | アメリカで、ゼラチンのデザート「ジェロー」が生まれる |
冷凍機の発明によって、氷を自由につくり、食品を冷やして保存できるようになった。これは、のちに、冷たいデザートや、生クリームを使った生菓子が広まる大切な土台となった(第15章参照)。
5. 産業革命とお菓子の年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1761年 | フライ社創業(ブリストル) |
| 1795年 | フライ社、蒸気機関でカカオをすりつぶす特許 |
| 1819年 | カイエのチョコレート工場(スイス) |
| 1822年 | ハントリー&パーマーズ創業 |
| 1824年 | キャドバリー創業 |
| 1828年 | ファン・ハウテン、カカオバターの圧搾(ココアパウダー) |
| 1836年 | ムニエの板チョコ(フランス) |
| 1843年 | バードのベーキングパウダー |
| 1847年 | フライ社の板チョコ |
| 1875年 | ペーターのミルクチョコレート |
| 1876年 | リンデの実用的な冷凍機 |
| 1879年 | リンツのコンチング、キャドバリーのボーンヴィル工場 |
| 1894年 | ハーシー・チョコレート社創業 |
| 1905年 | キャドバリー「デイリーミルク」 |
| 1908年 | トブラローネ |
| 1910〜1913年 | スコットの南極探検隊にハントリー&パーマーズのケーキ |
伝説と史実
よく語られるお話と、確かな記録からわかることを比べてみましょう。カードをタップすると、史実がめくれます。
🔮 よく語られる話「フライ社が、1847年に世界で初めて板チョコをつくった」
🔮 よく語られる話「ペーターは、粉ミルクを使ってミルクチョコレートをつくった」
🔮 よく語られる話「リンツは、機械を週末つけっぱなしにしてコンチングを発見した」
🔮 よく語られる話「ファン・ハウテンは、1828年の特許でアルカリ処理も発明した」
製菓とのつながり
チョコレートの4つの発明は、今の工程そのもの
今、私たちが使う製菓用チョコレート(クーベルチュール)やココアパウダーは、19世紀の発明の上に成り立っている。カカオマスからカカオバターとココアパウダーに分ける(圧搾)、カカオバターを加えて流れやすくする、乳を加える、練り上げてなめらかにする(コンチング)。チョコレートの袋の裏の原材料表示(カカオマス、砂糖、ココアバター、全粉乳など)を見ると、この歴史が読み取れる。
テンパリングとブルーム
テンパリングがうまくいかないと、チョコレートの表面が白くなるファットブルームが起こる。また、冷蔵庫から出したチョコレートに水滴がつき、砂糖がとけて再結晶すると、シュガーブルームが起こる。どちらも食べても害はないが、見た目と口どけが悪くなる。V型の結晶をそろえるテンパリングは、チョコレートを扱う菓子職人の基本の技術である。
膨張剤の使い分け
ベーキングパウダーは、パウンドケーキやマフィン、スコーンなどの焼き菓子に欠かせない。イースト(酵母)が生き物の力でゆっくりふくらませるのに対して、ベーキングパウダーは化学反応ですばやくふくらませる。どちらを使うかによって、生地の味や食感、作業の時間が大きく変わる。製菓理論で学ぶ膨張剤の知識は、19世紀の発明の延長にある。
まとめ
18世紀後半からの産業革命によって、お菓子は工場で大量につくられるようになった。とくにチョコレートは、4つの発明で「飲み物」から「食べるお菓子」に生まれ変わった。
1828年、オランダのファン・ハウテンが、カカオバターをしぼる圧搾機でココアパウダーを生み出した。1847年、イギリスのフライ社が食べるための板チョコを売り出した(カイエやムニエに先例がある)。1875年、スイスのダニエル・ペーターが、カビとの格闘の末に、練乳を使ってミルクチョコレートを完成させた。1879年、スイスのリンツが、生地を練り続けるコンチングで、なめらかな口どけを実現した。
イギリスのキャドバリーは働く人のための町ボーンヴィルをつくり、アメリカのハーシーはチョコレートを大量生産で安くした。チョコレートのつやと口どけを決めるテンパリングは、カカオバターのV型の結晶をそろえる作業で、仕組みは1970年代に解明された。
ビスケットは工場でつくられて缶に詰められ(南極で106年もののケーキが見つかった)、ベーキングパウダー(1843年、バード)、ローラー製粉、圧搾酵母、冷凍機(リンデ)、ゼラチンのデザートなどが生まれ、菓子づくりの材料と道具は大きく進歩した。
次章では、20世紀の洋菓子の世界を訪ねる。ヌーヴェル・パティスリーと世界の菓子職人たちの物語である。
※ 本ページは『sweets note. 図書館』のお菓子の歴史 第8章です。製菓衛生師養成課程の科目「社会」のうち、菓子の歴史と文化にあたる内容を扱っています。

