お菓子の歴史 第三部 日本の菓子の物語
昭和から現代へ
時代:昭和時代〜令和時代(1926年〜現在)
はじめに
前の章で、明治・大正時代に、日本の洋菓子とパンが生まれた物語を学んだ。ショートケーキやバウムクーヘンが登場し、都市の人々が洋菓子を楽しみ始めた時代である。
しかし、昭和に入ると、日本は戦争の時代へと進んでいく。砂糖は配給制となり、菓子店の多くは店を閉じなければならなかった。子どもたちが甘いお菓子を自由に食べられない時代が、長く続いた。
戦争が終わると、日本は焼け跡から立ち上がった。学校給食でパンと出会った子どもたち。冷蔵庫の普及とともに、家庭にやってきたショートケーキ。クリスマス、バレンタインデー、ホワイトデー。そして、菓子づくりを担う人たちの資格として、製菓衛生師が生まれた。
この章では、私たちの祖父母や父母の世代が経験してきた、すぐそばの歴史を訪ねる。今、あなたがこの本を読んでいることも、この物語の続きである。
1. 戦争と菓子
1-1. 砂糖の配給
1937年に日中戦争が始まると、物資は戦争のために優先して使われるようになった。1940年には、砂糖やマッチが配給制となり、決められた量しか手に入らなくなった。
砂糖が手に入らなくなると、菓子店は営業を続けることが難しくなった。菓子づくりの材料や燃料は不足し、多くの職人が戦地へ向かった。菓子の世界にとって、もっとも苦しい時代であった。
1-2. 人工甘味料の時代
戦争の終わりから戦後にかけて、砂糖の代わりに使われたのが、サッカリンやズルチンなどの人工甘味料である。砂糖の何百倍もの甘さを持つこれらの甘味料は、少量で甘みをつけることができた。
しかし、のちにズルチンは、体への害が心配されることから、使用が禁止された。食べ物の安全を確かめる仕組みの大切さは、こうした経験からも学ばれてきた。食品添加物の決まりについては、食品衛生学の本の食品添加物の章で詳しく学ぶ。
1-3. 統制の終わり
戦争が終わっても、砂糖の不足はしばらく続いた。砂糖の統制がなくなったのは1952年のことである。戦後の復興とともに、菓子店は少しずつ店を開き、職人たちは再び菓子をつくり始めた。
2. 戦後の子どもたちとパン
2-1. 学校給食
戦後の食料不足の中で、子どもたちの栄養を支えたのが、学校給食である。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1946年 | アメリカなどの民間団体から、ララ物資(食料などの救援物資)が届く |
| 1947年 | 学校給食が本格的に再開される |
| 1950年 | パン・ミルク・おかずがそろった完全給食が、大都市で始まる |
| 1954年 | 学校給食法が定められる |
| 1976年 | 米飯給食が正式に取り入れられる |
学校給食でパンを食べるようになった子どもたちは、大人になってからも、パンを日常の食べ物として受け入れた。日本の食卓にパンが広まった背景には、学校給食があったのである。
2-2. 菓子パンと日本のパン
戦後、パン屋は町の身近な店となり、あんぱん、クリームパン、メロンパン、カレーパンなどの菓子パン・調理パンが、子どもから大人まで親しまれるようになった。明治時代に生まれた「日本のパン」の流れは、戦後に大きく花開いた(第14章参照)。
3. 家庭にやってきたケーキ
3-1. クリスマスケーキとバタークリーム
戦後、1948年ごろから、クリスマスにケーキを食べる習慣が広まり始めた。1950年代から1960年代にかけて、日本の経済が大きく成長すると、クリスマスケーキは、多くの家庭の冬の楽しみとなった。
このころのケーキの主役は、バタークリームであった。冷蔵庫がまだ十分に普及していなかった時代、生クリームは傷みやすく、扱いが難しかった。バタークリームは、比較的日持ちがよく、色をつけてバラの花などの飾りをつくりやすかったため、デコレーションケーキに広く使われた。
3-2. 冷蔵庫と生クリーム
1950年代の後半から、電気冷蔵庫が家庭に広まり、冷たい物を保存できる「コールドチェーン」(低温のまま流通させる仕組み)も整っていった。それにつれて、ケーキの主役は、バタークリームから生クリームへと移っていった。いちごと生クリームのショートケーキが、「ケーキといえばこれ」という存在になったのは、こうした冷蔵の技術の発達があったからである。
3-3. 行事とお菓子
戦後の日本では、お菓子と結びついた新しい行事も生まれた。
| 行事 | 内容 |
|---|---|
| クリスマス | 1948年ごろからクリスマスケーキが広まる |
| バレンタインデー | 戦前の1932年ごろに神戸のモロゾフがバレンタインのチョコレートを売り出していた。戦後、1950年代以降に、女性から男性へチョコレートを贈る日本独自の習慣として広まった |
| ホワイトデー | 1980年ごろに菓子業界が始め、バレンタインのお返しの日として定着した |
女性から男性へチョコレートを贈るバレンタインデーや、そのお返しをするホワイトデーは、日本独自の習慣である。行事とお菓子については、次の第16章で詳しく学ぶ。
4. 製菓衛生師の誕生
4-1. 製菓衛生師法
菓子の仕事は、人の口に入る食べ物をつくる仕事である。戦後、菓子の製造が広がるにつれて、菓子づくりにたずさわる人の衛生の知識と技術を高めることが求められるようになった。
1966年7月4日、製菓衛生師法が定められた。これによって、都道府県知事が行う試験に合格した人に、「製菓衛生師」の免許が与えられるようになった。製菓衛生師は、菓子づくりの技術だけでなく、衛生法規、公衆衛生、食品学、食品衛生、栄養、製菓理論などの幅広い知識を持つ専門家である。
製菓衛生師の資格は、菓子の安全を守る人であることの証である。製菓衛生師法のくわしい内容は、衛生法規の本で学ぶことができる。
4-2. 技能検定
国が職人の技能を認める技能検定の制度は、1959年度に始まった。菓子づくりやパンづくりの分野でも、技能検定が行われており、現在の試験の基準は、パン製造が1983年度、菓子製造が1986年度に定められた。合格すると「技能士」と名のることができる。
| 資格 | 内容 |
|---|---|
| 製菓衛生師 | 1966年の製菓衛生師法による国家資格。都道府県知事の試験 |
| 菓子製造技能士 | 技能検定(制度は1959年度開始)。洋菓子・和菓子の技能を認める |
| パン製造技能士 | 技能検定。パンづくりの技能を認める |
4-3. 食の安全の仕組み
昭和から令和にかけて、食の安全を守る仕組みも大きく変わってきた。食物アレルギーの原因となる食品を表示する制度が21世紀のはじめに始まり、2021年6月からは、原則としてすべての食品を扱う事業者に、HACCP(ハサップ)に沿った衛生管理が義務づけられた。菓子店もその対象である。食品表示やHACCPについては、食品衛生学や衛生法規の本で詳しく学ぶ。
5. スイーツブーム
5-1. 次々と生まれた流行
1970年代以降、日本では、次々と新しいお菓子の流行が生まれた。
| 時期 | 流行したお菓子 |
|---|---|
| 1970年代 | チーズケーキ |
| 1990年 | ティラミス(イタリア料理ブームとともに) |
| 1990年代 | パンナコッタ、カヌレ、ナタデココ(1993年)など |
| 2000年代 | マカロン、ロールケーキ |
| 2009年 | コンビニの「プレミアムロールケーキ」が大ヒット |
雑誌やテレビ、のちにはインターネットやSNSを通じて、新しいお菓子の情報は、あっという間に全国に広がるようになった。
5-2. コンビニスイーツ
2009年、コンビニエンスストアのローソンが売り出した「プレミアムロールケーキ」は大ヒットとなり、「コンビニスイーツ」という言葉が広まった。冷蔵の流通と、大量生産の技術の進歩によって、手ごろな値段で、専門店に負けない品質のお菓子が、24時間いつでも買えるようになったのである。
5-3. 世界で活躍する日本のパティシエ
20世紀の終わりから21世紀にかけて、日本の菓子職人は、世界の舞台で大きく活躍するようになった。製菓のワールドカップ「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・パティスリー」では、日本は1991年、2007年、2023年、2025年に優勝している(第9章参照)。フランスで修業し、パリに店を構える日本人パティシエも増えた。
そして今、日本の和菓子も、抹茶のお菓子や、季節を映す美しい上生菓子として、世界の人々から注目されている。
5-4. 和菓子と洋菓子の出会い
現代の日本では、和と洋の菓子が、さまざまな形で出会っている。抹茶のロールケーキ、あずきのモンブラン、いちご大福。いちご大福は、昭和の終わりごろから広まった、新しい和菓子である。和菓子の店が洋菓子の技術を取り入れ、洋菓子の店が和の素材を使う。南蛮菓子や明治のあんぱんと同じように、日本のお菓子は、外から来たものを受け入れ、自分たちの形に変えながら、進化を続けている。
6. 昭和から現代の菓子の年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1932年ごろ | 神戸のモロゾフがバレンタインのチョコレートを売り出す |
| 1940年 | 砂糖・マッチが配給制になる |
| 1946年 | ララ物資が届く |
| 1947年 | 学校給食が本格的に再開される |
| 1948年ごろ | クリスマスケーキが広まり始める |
| 1950年 | 大都市で完全給食が始まる |
| 1952年 | 砂糖の統制がなくなる |
| 1954年 | 学校給食法 |
| 1959年度 | 技能検定の制度が始まる |
| 1966年 | 製菓衛生師法(7月4日) |
| 1970年代 | チーズケーキのブーム |
| 1976年 | 米飯給食が正式に取り入れられる |
| 1980年ごろ | ホワイトデーが始まる |
| 1983年度 | パン製造技能検定の現在の基準 |
| 1986年度 | 菓子製造技能検定の現在の基準 |
| 1990年 | ティラミスのブーム |
| 1991年 | クープ・デュ・モンドで日本が初優勝 |
| 1993年 | ナタデココのブーム |
| 2009年 | コンビニの「プレミアムロールケーキ」が大ヒット |
| 2021年 | HACCPに沿った衛生管理が原則として義務化 |
| 2023年・2025年 | クープ・デュ・モンドで日本が2大会連続優勝 |
伝説と史実
よく語られるお話と、確かな記録からわかることを比べてみましょう。カードをタップすると、史実がめくれます。
🔮 よく語られる話「技能検定の制度は、1975年に始まった」
🔮 よく語られる話「バレンタインデーにチョコレートを贈るのは、世界共通の習慣」
🔮 よく語られる話「戦争が終わると、すぐに砂糖が自由に手に入るようになった」
🔮 よく語られる話「昔からショートケーキといえば、生クリームといちごだった」
製菓とのつながり
バタークリームと生クリーム
バタークリームは、バターに砂糖やメレンゲ、シロップなどを加えて泡立てたものである。油脂が多く、水分が少ないため、比較的日持ちがよく、形を保ちやすい。生クリームは、牛乳からとった乳脂肪のクリームで、水分が多く、傷みやすいため、低温での管理が欠かせない。生クリームは、冷やした状態で泡立てると、脂肪の粒がつながって空気を抱きこみ、ホイップクリームになる。
製菓衛生師の仕事と衛生
製菓衛生師は、菓子の安全を守る専門家である。原料の受け入れ、保管の温度、加熱の温度と時間、器具の洗浄・消毒、手洗い、従業員の健康管理など、衛生の知識は、菓子づくりのすべての工程に関わる。HACCPの考え方では、危害が起こりうる工程を見つけ出し、重点的に管理し、記録を残す。おいしさと安全は、どちらも欠かせない菓子の品質である。
人工甘味料と現代の甘味料
戦後の人工甘味料の時代を経て、今では、アスパルテーム、スクラロース、ステビアなど、さまざまな甘味料が使われている。甘味料は、甘さの強さ、熱への強さ、後味、カロリーなどがそれぞれ違い、菓子の目的に合わせて選ばれる。ただし、砂糖には、甘みだけでなく、保水性、焼き色、泡の安定などの働きがあるため、甘味料に置きかえるときは、菓子の仕上がりが変わることに注意が必要である。
まとめ
昭和の戦争の時代、1940年に砂糖は配給制となり、戦後も不足が続いて、統制がなくなったのは1952年であった。その間、サッカリンやズルチンなどの人工甘味料が使われた。
戦後、学校給食(1947年再開、1950年完全給食、1954年学校給食法)を通じて、子どもたちはパンに親しんだ。1948年ごろからはクリスマスケーキが広まり、初めはバタークリームが主流だったが、冷蔵庫と低温の流通の普及とともに生クリームのケーキが主役になった。バレンタインデーやホワイトデーなど、日本独自のお菓子の行事も生まれた。
1966年7月4日には製菓衛生師法が定められ、菓子の安全を守る専門家の資格が生まれた。技能検定は1959年度に始まった。2021年からは、菓子店もHACCPに沿った衛生管理が求められている。
1970年代以降は、チーズケーキ、ティラミス、ナタデココなどのスイーツブームが続き、2009年にはコンビニスイーツが広まった。日本のパティシエは世界大会で何度も優勝し、和と洋の菓子が出会いながら、日本のお菓子は今も進化を続けている。
これで第三部「日本の菓子の物語」は終わりである。次章からは第四部として、世界と日本の行事と菓子の物語を訪ねる。
※ 本ページは『sweets note. 図書館』のお菓子の歴史 第15章です。製菓衛生師養成課程の科目「社会」のうち、菓子の歴史と文化にあたる内容を扱っています。

