お菓子の歴史 第二部 ヨーロッパの菓子の物語
イタリアからフランス宮廷へ
時代:16世紀〜18世紀
はじめに
今、「お菓子の本場」と聞いて、多くの人が思いうかべるのはフランスだろう。マカロン、シュークリーム、ミルフィーユ、クレーム・ブリュレ。フランス語の名前をもつお菓子は、数えきれないほどある。
けれども、16世紀のヨーロッパで、食の文化がもっとも洗練されていたのはイタリアであった。ルネサンスの花開いたフィレンツェやヴェネツィア、ローマでは、豊かな商人や貴族、教会の高位の人々が、砂糖細工で飾られた豪華な宴会を開き、料理人たちは料理書を書き残した。
フランスの菓子は、こうしたイタリアの文化の影響を受けながら、17世紀、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿の時代に、大きく発展していく。この章では、イタリアからフランスへと受け継がれた宮廷の菓子の物語をたどる。
この時代には、とても有名な「伝説」がいくつもある。「カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフランスにお菓子を伝えた」「ヴァテールがクレーム・シャンティイを発明した」「画家がパイ生地を発明した」。こうした話の多くは、のちの時代につくられたものである。伝説の楽しさを味わいながら、記録に残る本当の歴史もたどってみよう。
1. ルネサンスのイタリア
1-1. 砂糖と宴会
16世紀のイタリアは、ヴェネツィアなどを通じて砂糖が手に入りやすく(第1章参照)、豊かな都市の文化が栄えていた。王侯貴族や教会の高位の人々の宴会では、砂糖を使った料理や菓子がたくさん出された。砂糖で城や人物、動物などの形をつくった豪華な砂糖細工は、宴会を飾る主役であった。
1-2. イタリアの料理書
この時代のイタリアでは、料理人たちが料理書を書き残している。
| 年 | 料理書・人物 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1549年 | メッシスブーゴ(フェラーラのエステ家に仕えた料理人) | 宴会の献立や料理。泡立てたクリーム(「乳の雪」)のレシピもある |
| 1570年 | スカッピ(ローマ教皇に仕えた料理人) | 1000以上のレシピを集めた大著。泡立てたクリームのレシピもある |
泡立てた生クリームは、すでに16世紀のイタリアで「乳の雪」(ネーヴェ・ディ・ラッテ)とよばれ、楽しまれていた。
2. カトリーヌ・ド・メディシスの伝説
2-1. 有名な話
1533年、フィレンツェのメディチ家の娘カトリーヌ・ド・メディシスは、フランス王子アンリ(のちの国王アンリ2世)と結婚した。
「カトリーヌは、イタリアから料理人や菓子職人を連れてきて、フランスの料理を大きく変えた。シャーベット、マカロン、フォークを使う食事の作法などを、フランスに伝えた」という話は、とても有名である。
2-2. 食の歴史研究者の見方
しかし、食の歴史の研究者の多くは、この話を、のちの時代につくられたものと考えている。
| 話 | 研究者の見方 |
|---|---|
| フランス料理を大きく変えた | 18世紀以降に広まった話。16世紀には「フランス料理」「イタリア料理」という区別自体がまだなく、上流の料理はよく似ていた |
| 料理人や菓子職人を連れてきた | 王妃の家の記録に、イタリア人の料理人は見当たらない |
| シャーベットを伝えた | カトリーヌの功績とされ始めたのは19世紀の半ばから。それ以前の記録はない |
| マカロンを伝えた | 根拠となる記録がない |
| フォークを伝えた | イタリアではすでにフォークが使われていたので、広まるきっかけになった可能性はあるが、「彼女が持ちこんだ」という証拠はない |
アメリカの食物史家スーザン・ピンカードは、16世紀には、フィレンツェとフランスの宮廷の料理は基本的に同じものであったと指摘している。カトリーヌの料理への影響を語る最古の言葉は、むしろ「ぜいたくで人々を堕落させた」という批判であったという。
イタリアの食文化がフランスに影響を与えたことは確かだが、それは一人の王妃の力というより、長い時間をかけた人や物の行き来によるものだったと考えられる。
3. マカロンの歴史
3-1. アーモンドの小さな菓子
マカロンは、アーモンドの粉、砂糖、卵白でつくる小さな焼き菓子である。アーモンドと砂糖を使う菓子は、アラブの世界から地中海に広まったものと考えられている。
フランスの文学では、1552年、作家ラブレーの作品の中に「マカロン」という言葉が出てくる。英語で書かれたもっとも古いマカロンのレシピは、1617年の料理書のものである。
3-2. 地方のマカロンとマカロン姉妹
フランスの各地には、その土地に伝わるマカロンがある。なかでも有名なのが、東部の町ナンシーのマカロンである。
18世紀の終わり、フランス革命の混乱の中で、ナンシーの修道院が閉鎖され、修道女たちは追い出された。そのうちの二人の修道女が、生活のために、修道院で受け継がれてきたレシピでマカロンを焼いて売った。これが評判となり、二人は「マカロン姉妹」(スール・マカロン)とよばれるようになった。
1952年、ナンシーの町は、二人が住んだ通りの名前を「マカロン姉妹通り」に改めた。今もナンシーには、マカロン姉妹のレシピを受け継ぐ店があり、表面にひび割れのある、素朴なマカロンを売っている。
3-3. パリのマカロン
今、日本でも人気の、色とりどりで、2枚の生地の間にクリームをはさんだ「パリのマカロン」が生まれたのは、ずっと後の19世紀の終わりから20世紀の初めのことである。
パリの老舗菓子店ラデュレ(1862年創業)の一族のピエール・デフォンテーヌが、20世紀の初めに、2枚のマカロンでガナッシュをはさむ形を考えたという説がよく知られている。しかし、ほかの菓子職人が考えたとする説もあり、はっきりしない。
| マカロンの種類 | 特徴 |
|---|---|
| 地方の素朴なマカロン(ナンシーなど) | 1枚の焼き菓子。表面がひび割れ、しっとりした食感 |
| パリのマカロン | 表面がなめらかで、縁に「ピエ」(足)とよばれるフリルがある。2枚でクリームをはさむ |
4. ルイ14世とヴェルサイユの時代
4-1. フランス料理の夜明け
17世紀、フランスは国王ルイ14世(在位1643〜1715年)のもとで、ヨーロッパでもっとも強い国となった。ルイ14世が建てたヴェルサイユ宮殿では、毎日のように豪華な宴会が開かれ、フランスの料理と菓子は大きく発展した。
この時代に、フランス料理の新しい流れをつくった料理書が次々と書かれた。
| 年 | 料理書・人物 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1651年 | ラ・ヴァレンヌ『フランスの料理人』 | 中世風の香辛料を多く使う料理から、ハーブを生かした料理へ。ウフ・ア・ラ・ネージュ(メレンゲをゆでて浮かべた菓子)のもっとも古いレシピ。生地にバターを包んで折り重ねるパイ生地の作り方を、はっきり書いた最初の本 |
| 1653年 | 『フランスの菓子職人』 | ラ・ヴァレンヌの著とされてきたが、近年は疑問も出ている |
| 1691年 | マシアロ『宮廷とブルジョワの料理人』 | レシピをアルファベット順に並べた、料理辞典の先がけ。クレーム・ブリュレの最初のレシピとされる。メレンゲという名前のレシピもある |
| 1692年 | マシアロ『ジャム、リキュール、果物の新しい手引き』 | 砂糖菓子や果物の砂糖漬け、飲み物 |
ラ・ヴァレンヌの『フランスの料理人』は、1653年に英語に翻訳された。フランスの料理書が英語に翻訳されたのは、これが初めてであった。フランスの料理と菓子が、ヨーロッパの手本となる時代が始まったのである。
4-2. パイ生地の伝説
パイ生地(フイユタージュ)については、「17世紀の初め、画家のクロード・ロランが、パン屋の見習いだったころに、生地にバターを包みこんで発明した」という話が知られている。しかし、この話を裏付ける証拠はほとんどない。
実際には、1607年や1611年に出版されたスペインの料理書に、すでに層になった生地のレシピが載っている。パイ生地は、一人の発明というより、多くの職人の工夫の中で生まれたと考えられる。生地にバターを包んで折り重ねる方法を、はっきりと書き残した最初の本は、1651年のラ・ヴァレンヌの料理書である。
4-3. ヴァテールの悲劇とクレーム・シャンティイ
1671年4月、パリの北にあるシャンティイ城で、城の主コンデ公が、ルイ14世を迎えて盛大な宴会を開いた。宴会を取り仕切ったのは、給仕長のフランソワ・ヴァテールであった。
宴会の最中、注文していた魚がなかなか届かなかった。責任を感じて絶望したヴァテールは、自ら命を絶ってしまった。皮肉なことに、その直後に魚が届いたという。このできごとは、当時の貴婦人セヴィニェ夫人の手紙に書き残されている。
ヴァテールについては、「シャンティイ城の宴会で、泡立てた甘い生クリーム、クレーム・シャンティイを発明した」という話も有名である。しかし、これには根拠がない。
| クレーム・シャンティイの本当の歴史 | 内容 |
|---|---|
| 16世紀 | イタリアで、泡立てたクリームが「乳の雪」として楽しまれていた(1549年、1570年の料理書) |
| 1755年 | 料理人メノンの料理書に、「シャンティイ風」という名前のついたクリームの菓子が出てくる。シャンティイの名がクリームに結びついた最初の記録 |
| 19世紀 | 「クレーム・シャンティイ」という呼び方が広まる |
4-4. ブリオッシュ
バターと卵をたっぷり使ったパン、ブリオッシュも、この時代のフランスで広まった。名前は、ノルマンディー地方の言葉で「こねる」を意味する言葉に由来するとされる。1611年の辞書に、すでにこの語源の説明が載っている。
5. カフェの誕生
5-1. コーヒー、ヨーロッパへ
17世紀、中東やトルコで飲まれていたコーヒーが、ヨーロッパに伝わった。各地にカフェ(コーヒー・ハウス)が生まれ、人々が集い、語り合う場となった。
| 年 | 都市 | できごと |
|---|---|---|
| 1650〜1651年 | イギリス・オックスフォード | ヨーロッパで最初期のコーヒー・ハウス |
| 1652年 | イギリス・ロンドン | ロンドン最初のコーヒー・ハウス |
| 1669年 | フランス・パリ | トルコ(オスマン帝国)の使節がパリを訪れ、コーヒーが注目される |
| 1672年 | フランス・パリ | アルメニア人のパスカルが、パリの市でコーヒーを売る |
| 1683年 | イタリア・ヴェネツィア | サン・マルコ広場にカフェ |
| 1685年 | オーストリア・ウィーン | ウィーン最初のカフェ(第6章参照) |
5-2. カフェ・プロコープ
パリで最初の本格的なカフェとして知られるのが、カフェ・プロコープである。創業者は、イタリアのシチリア出身のフランチェスコ・プロコピオで、1670年にフランスにやってきた。
カフェ・プロコープの創業は1686年とされることが多いが、1689年とする説もある。1689年には、店の向かいに、劇場コメディ・フランセーズが移ってきた。劇を見に来た人々、作家、芸術家、哲学者たちが集まり、カフェ・プロコープは、パリの文化の中心の一つとなった。のちには、思想家ヴォルテールやルソーなども通ったと伝えられる。
カフェ・プロコープでは、コーヒーのほか、氷菓(シャーベット、アイスクリーム)も売られていた。シチリアは、氷菓の伝統のある土地であった。今もカフェ・プロコープは、パリでレストランとして営業を続けている。
6. アイスクリームとシャーベット
6-1. 「凍らせる」技術
古代から、人々は、山の雪や氷を氷室にたくわえ、飲み物を冷やして楽しんできた(第3章参照)。しかし、飲み物や果汁を「凍らせる」ことは、簡単ではなかった。
16世紀、その方法が見つかった。氷に塩を加えると、温度が0℃よりずっと下がる。その中に容器を入れると、中の液体を凍らせることができる。この方法は、1550年、ローマにいたスペイン人の医師の本に、ヨーロッパで最初に記録された。
6-2. ナポリとパリの氷菓
17世紀になると、イタリア、特にナポリで、果汁や甘い液体を凍らせたソルベット(シャーベット)が盛んにつくられた。1690年にはナポリでシャーベットの専門の本が出版され、1692〜1694年には、ナポリの料理人ラティーニの本に、さまざまなソルベットのレシピが載った。
フランスでも、氷菓は宮廷とパリの人々の楽しみとなった。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1664年 | ヴェルサイユに王室の氷室ができる |
| 1670年 | パリに最初の氷菓の店ができる |
| 1674年 | 香りをつけた氷菓のレシピが、初めて本で出版される |
| 1768年 | エミー『氷菓をうまくつくる技術』。氷菓だけを扱った最初期の専門書 |
イギリスでも、1671年、ウィンザー城の宴会で「アイスクリーム」が出された記録がある。英語の「アイスクリーム」という言葉の、もっとも古い例の一つである。
18世紀には、氷菓はさまざまな味でつくられた。果物だけでなく、チョコレート、コーヒー、さらにはチーズや黒パンの味のアイスまであったという。
7. 宮廷の菓子の年表
| 年 | イタリア | フランス・ヨーロッパ |
|---|---|---|
| 1533年 | カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王子と結婚 | |
| 1549年・1570年 | 料理書に泡立てたクリーム「乳の雪」 | |
| 1550年 | 氷と塩で凍らせる方法の記録(ローマ) | |
| 1552年 | ラブレーの作品に「マカロン」 | |
| 1651年 | ラ・ヴァレンヌ『フランスの料理人』 | |
| 1652年 | ロンドン最初のコーヒー・ハウス | |
| 1670年 | パリ最初の氷菓店 | |
| 1671年 | ヴァテールの悲劇(シャンティイ城) | |
| 1686年 | カフェ・プロコープ(1689年説も) | |
| 1690年代 | ナポリでシャーベットの本 | マシアロ『宮廷とブルジョワの料理人』(1691年) |
| 1755年 | 「シャンティイ」の名がクリームに | |
| 1792〜1793年 | ナンシーのマカロン姉妹 |
伝説と史実
よく語られるお話と、確かな記録からわかることを比べてみましょう。カードをタップすると、史実がめくれます。
🔮 よく語られる話「カトリーヌ・ド・メディシスが、イタリアからフランスに料理人を連れてきて、シャーベットやマカロンを伝えた」
🔮 よく語られる話「ヴァテールが、シャンティイ城の宴会でクレーム・シャンティイを発明した」
🔮 よく語られる話「画家のクロード・ロランが、パン屋の見習い時代にパイ生地を発明した」
🔮 よく語られる話「パリの色とりどりのマカロンは、昔からある伝統の菓子である」
🔮 よく語られる話「カフェ・プロコープの創業者は、フィレンツェの人である」
製菓とのつながり
古典菓子の名前の由来
この時代に生まれた菓子や技術の名前は、今の製菓の基本用語になっている。フイユタージュ(パイ生地)、メレンゲ、クレーム・シャンティイ(加糖して泡立てた生クリーム)、クレーム・ブリュレ、ウフ・ア・ラ・ネージュ、ブリオッシュ。その歴史を知ると、古典菓子への理解が深まる。
氷と塩の科学
氷に塩を加えると温度が下がる仕組みは、製菓理論で学ぶ「凝固点降下」である。水に塩などがとけると、凍る温度が0℃より低くなる。氷と塩をまぜると、氷がとけながら周りの熱をうばい、温度はおよそ−20℃近くまで下がる。手回しのアイスクリームメーカーは、この仕組みを使っている。16世紀の人々は、科学の理屈を知らないまま、この仕組みを発見していたのである。
マカロンの二つの顔
素朴な地方のマカロンと、華やかなパリのマカロン。同じ「マカロン」でも、つくり方も食感もまったく違う。お客様にマカロンを紹介するとき、その歴史を一言添えることができれば、菓子はもっと魅力的になる。
まとめ
16世紀のヨーロッパで食文化がもっとも洗練されていたのはイタリアで、宴会は砂糖細工で飾られ、料理書には泡立てたクリーム「乳の雪」が記された。1533年にフランス王子と結婚したカトリーヌ・ド・メディシスがシャーベットやマカロンを伝えたという話は、のちの時代につくられた伝説である。
マカロンは、1552年にラブレーの作品に登場し、革命期のナンシーでは「マカロン姉妹」がマカロンを焼いた。2枚でクリームをはさむパリのマカロンは、19世紀末から20世紀初めに生まれた。
17世紀、ルイ14世の時代に、ラ・ヴァレンヌ『フランスの料理人』(1651年)、マシアロの料理書(1691年、クレーム・ブリュレ)などが書かれ、フランスの料理と菓子がヨーロッパの手本となった。パイ生地を画家が発明した話、ヴァテールがクレーム・シャンティイを発明した話は伝説である。ヴァテールは1671年、魚の遅れに絶望して命を絶った。
17世紀にはヨーロッパ各地にカフェが生まれ、パリではシチリア出身のプロコピオのカフェ・プロコープ(1686年とされる)が文化の中心となった。氷と塩で凍らせる方法が見つかり、ナポリやパリで氷菓が広まった。
次章では、ヨーロッパのもう一つの菓子の都、ウィーンとハプスブルク家の物語を訪ねる。マリー・アントワネットとクロワッサンの本当の話も、そこで明らかになる。
※ 本ページは『sweets note. 図書館』のお菓子の歴史 第5章です。製菓衛生師養成課程の科目「社会」のうち、菓子の歴史と文化にあたる内容を扱っています。

