お菓子の歴史 第二部 ヨーロッパの菓子の物語
20世紀の洋菓子
時代:20世紀〜21世紀
はじめに
20世紀は、二つの世界大戦で始まり、冷蔵庫や冷凍の技術が家庭や菓子店に広がり、飛行機で人と情報が世界中を行き来する時代へと進んだ。お菓子の世界も、この100年で大きく姿を変えた。
戦争のあいだ、砂糖やバターは配給制になり、お菓子は「ぜいたく品」になった。しかし戦争が終わると、菓子職人たちは、新しい技術を取り入れながら、より軽く、より繊細な菓子を生み出していった。フランスでは、国が最高の職人をたたえる制度が生まれ、「ヌーヴェル・パティスリー(新しい菓子)」と呼ばれる流れが起こった。やがて、世界の菓子職人が腕を競う大会が開かれ、そこで日本のチームが何度も頂点に立つようになる。
一方で、ティラミス、パブロバ、オペラなど、今では「定番」となった菓子の多くが、実は20世紀生まれである。そして、その多くに「元祖はどこか」という論争がついてまわる。この章では、私たちが今食べている洋菓子の、すぐ手前の歴史を訪ねる。
1. 戦争と菓子
1-1. 配給の時代
第一次世界大戦(1914〜1918年)と第二次世界大戦(1939〜1945年)のあいだ、ヨーロッパの多くの国で、砂糖、バター、卵、小麦粉などが配給制になった。お菓子の材料は手に入りにくくなり、菓子店の多くは営業を続けることが難しくなった。
イギリスでは、第二次世界大戦中の1940年に砂糖の配給が始まり、戦争が終わったあとも続いて、終わったのは1953年であった。子どもたちが自由にお菓子を買えるようになったのは、戦後8年もたってからのことである。
家庭では、砂糖の代わりにはちみつやにんじんの甘さを使ったり、卵の代わりに粉末の卵を使ったりと、少ない材料でお菓子をつくる工夫が重ねられた。戦後、材料が自由に手に入るようになったとき、人々がどれほど甘いお菓子を喜んだかは、想像にかたくない。
1-2. 20世紀前半に生まれた名菓
戦争の時代をはさみながらも、20世紀の前半には、今も愛される名菓がいくつも生まれている。
パリ・ブレストは、シュー生地を輪の形に焼き、プラリネ(ナッツとカラメルのペースト)入りのクリームをはさんだフランス菓子である。名前は、1891年に始まった、パリとブルターニュ地方のブレストのあいだを往復する自転車レース「パリ=ブレスト=パリ」にちなむ。1909〜1910年ごろ、レースの道筋にあったメゾン・ラフィットの菓子職人ルイ・デュランが、自転車の車輪をかたどって考えたとされる。ただし、ほかにも元祖を名乗る職人がいる。
シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(フランス語でフォレ・ノワール、黒い森のケーキ)は、チョコレートの生地に、さくらんぼと、さくらんぼの蒸留酒キルシュヴァッサーをきかせた生クリームを合わせたドイツのケーキである。1915年に菓子職人ヨーゼフ・ケラーがボン近郊の店で考えたという説と、1930年にテュービンゲンの菓子職人が考えたという説があり、文字で残る最初のレシピは1934年のものとされる。名前の由来も、黒い森地方の特産のキルシュから、という説や、民族衣装の色から、という説などがあって、はっきりしない。
パブロバは、大きく焼いたメレンゲに、生クリームと果物をのせたお菓子である。1926年に、ロシアの名バレリーナアンナ・パブロワがニュージーランドとオーストラリアを巡業したことにちなんで名づけられた。どちらの国が元祖かをめぐって、今も論争が続いている(「伝説と史実」参照)。
| 菓子 | 生まれた国 | 時期 | 名前の由来 |
|---|---|---|---|
| パリ・ブレスト | フランス | 1909〜1910年ごろ | 自転車レース |
| シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ | ドイツ | 1910〜1930年代 | 黒い森地方(諸説あり) |
| パブロバ | ニュージーランド(論争あり) | 1920年代後半 | バレリーナのアンナ・パブロワ |
| シフォンケーキ | アメリカ | 1927年 | 絹のように軽い布「シフォン」 |
| オペラ | フランス | 1950年代 | パリのオペラ座(諸説あり) |
| ティラミス | イタリア | 1960年代後半〜1970年代 | 「私を元気にして」 |
2. アメリカの家庭の菓子
2-1. シフォンケーキの秘密
シフォンケーキは、1927年、アメリカのロサンゼルスで、保険の外交員だったハリー・ベイカーが考えたとされる。ベイカーは、このふわふわのケーキのレシピを約20年間、誰にも教えなかった。ハリウッドのスターたちや、有名なレストラン「ブラウン・ダービー」に届けられ、評判となった。
1947年、ベイカーはレシピを食品会社ゼネラル・ミルズに売り、翌1948年、雑誌で公開された。秘密の材料は、バターではなく植物油であった。卵黄と卵白を分け、卵白をしっかり泡立てたメレンゲで生地をふくらませる。広告では「100年ぶりの、本当に新しいケーキ」と宣伝された。
シフォンケーキは、のちに日本でもたいへん人気になり、専用の筒型の型とともに、家庭の定番のお菓子となっている。
2-2. ケーキミックスと冷蔵庫
20世紀のアメリカでは、家庭の台所が大きく変わった。電気冷蔵庫やガスオーブンが家庭に広がり、粉、砂糖、膨張剤などをあらかじめ混ぜたケーキミックスが売り出された。1930年代に登場したケーキミックスは、第二次世界大戦後の1940〜1950年代に大きく広まり、水や卵を加えて焼くだけで、誰でも手軽にケーキをつくれるようになった。
冷蔵庫と冷凍庫の普及は、家庭のお菓子だけでなく、菓子店の仕事も変えた。生クリームやムースのように、冷やしておかなければならない菓子を、つくりおきして売ることができるようになったのである。
3. MOF ― 国家最優秀職人章
3-1. 職人をたたえる国の制度
フランスには、MOF(Meilleur Ouvrier de France、メイユール・ウヴリエ・ド・フランス、「フランス最優秀職人」)という称号がある。国が主催するコンクールに合格した職人だけに与えられる、たいへん名誉ある称号である。
第1回のコンクールは1924年、パリの市庁舎で開かれた。ジャーナリストのリュシアン・クロッツが、職人の技を守り、たたえるために呼びかけたのが始まりとされる。
3-2. 青・白・赤の襟
MOFのコンクールは、料理、菓子、パン、チョコレートなどの食の分野だけでなく、家具、宝飾、理容など、さまざまな職業で行われている。菓子の分野のコンクールは、3〜4年に一度しか開かれず、何年もかけて準備しても、合格できるのはごくわずかという、たいへん難しいものである。
合格した職人は、フランス国旗と同じ青・白・赤の三色の襟のついたコックコートを着ることが許される。この襟は、一生ものの誇りである。日本の洋菓子店でも、「MOFのシェフの店」と紹介されることがあり、フランス菓子の世界で最高の腕前の証として知られている。
4. ルノートルとヌーヴェル・パティスリー
4-1. ガストン・ルノートル
20世紀のフランス菓子を語るうえで欠かせないのが、ガストン・ルノートル(1920〜2009年)である。ノルマンディー地方の料理人の家に生まれ、1947年にノルマンディーの町ベルネーで自分の店を開いた。1957年にはパリに進出し、たちまち評判となった。
ルノートルは、それまでの重く、甘いフランス菓子を見直した。
| ルノートルが変えたこと | 内容 |
|---|---|
| 甘さをひかえる | 砂糖を減らし、素材の味を生かす |
| 軽さ | 空気をふくんだ生地やムースで、軽い口あたりに |
| 素材 | 質のよいバター、生クリーム、チョコレートを使う |
| 冷凍の技術 | 急速冷凍を取り入れ、大量の注文でも品質をそろえる |
| 教育 | 1971年、プロのための菓子学校を開く |
1964年には、大きな宴会の料理や菓子を引き受ける仕事を始め、急速冷凍の技術を取り入れて、たくさんの菓子を同じ品質で届けられるようにした。1971年には、パリ郊外にプロの職人のための学校を開いた。ここからは、のちに世界的なパティシエとなるピエール・エルメをはじめ、多くの職人が育っている。
4-2. ヌーヴェル・パティスリー
1970年代のフランスでは、料理の世界で、重いソースをやめ、素材の持ち味を生かす「ヌーヴェル・キュイジーヌ(新しい料理)」という流れが起こった。菓子の世界でも、これと同じように、軽く、甘さをひかえ、ムースやババロアを重ねた新しいスタイルの菓子が広がった。これがヌーヴェル・パティスリーと呼ばれる流れであり、ルノートルはその代表とされる。
この流れを支えたのが、冷蔵・冷凍の技術である。砂糖には、菓子を甘くするだけでなく、水分を抱えこんで、くさりにくくする働きがある。砂糖を減らした軽いムースの菓子は、冷やして保存できる設備があって初めて、店に並べることができたのである。
4-3. オペラ
オペラは、アーモンド入りの薄いスポンジ生地(ビスキュイ・ジョコンド)にコーヒーのシロップをしみこませ、コーヒーのバタークリームとチョコレートのガナッシュを何層にも重ね、表面をチョコレートでつややかに仕上げたケーキである。
1955年、パリの老舗菓子店ダロワイヨの職人シリアク・ガヴィヨンが考え、妻がパリのオペラ座にちなんで名づけた、とされる。一方、ルノートルも、1960年に自分が考えたと語っていた。四角く、平たく、層が美しく見えるこの菓子は、20世紀の新しいフランス菓子の象徴のひとつである。
5. ティラミス ― イタリアの新しい古典
ティラミスは、コーヒーをしみこませたビスケット(サヴォイアルディ)に、卵と砂糖とマスカルポーネ(イタリアのクリームチーズ)のクリームを重ね、ココアをふりかけたイタリアのお菓子である。名前は、イタリア北部の方言で「私を引っぱり上げて(元気にして)」という意味である。
今ではイタリア菓子の代表のように思われているが、料理書に登場するのは1960年代より後で、歴史は意外に新しい。
| 元祖の説 | 内容 |
|---|---|
| ヴェネト州トレヴィーゾ | レストラン「レ・ベッケリーエ」で、1969年に考えられ、1972年にメニューに加わったとされる |
| フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 | 1938年からピエリスのレストランで、半分凍らせた「ティレメスー」が出されていたという記録がある |
ヴェネト州とフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州は、長いあいだ「元祖」の座を争ってきた。2017年には、イタリアの農業省が、ティラミスをフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の伝統食品のリストに加え、ニュースになった。
1980年代には、ティラミスは世界中に広がった。日本でも1990年ごろに大流行し、「イタめし」ブームとともに、誰もが知るお菓子となった。
6. 世界大会と現代のパティシエ
6-1. クープ・デュ・モンド・ド・ラ・パティスリー
クープ・デュ・モンド・ド・ラ・パティスリー(製菓のワールドカップ)は、1989年、フランスのリヨンで始まった、世界の菓子職人が国ごとのチームで腕を競う大会である。フランスの菓子職人ガブリエル・パイヤソンが創設したとされ、2年に一度開かれている。各国の予選を勝ち抜いたチームが、決められた時間の中で、チョコレートやあめの細工、アントルメ(ホールケーキ)、皿盛りのデザートなどをつくり、技術と芸術性を競う。
この大会で、日本はめざましい成績をおさめてきた。
| 結果 | 日本チームの年 |
|---|---|
| 優勝 | 1991年、2007年、2023年、2025年 |
| 準優勝 | 1995年、2001年、2003年、2013年、2015年、2017年、2019年、2021年 |
| 3位 | 1997年 |
第1回の1989年はフランスが優勝し、日本は第2回の1991年に初優勝した。2023年と2025年には2大会続けて優勝している。お菓子の本場ヨーロッパから遠く離れた日本が、これほどの成績をおさめていることは、日本の洋菓子の技術の高さを世界に示している。日本の洋菓子がどのように育ってきたかは、第三部で学ぶ(第14章・第15章参照)。
6-2. ピエール・エルメ
ピエール・エルメ(1961年生まれ)は、フランスのアルザス地方で、4代続く菓子職人の家に生まれた。14歳でルノートルのもとで修業を始め、その後、パリの高級食料品店フォションで11年間働き、続いてラデュレの菓子づくりを指揮した。
エルメは、香りや食感の組み合わせを一つの「テーマ」として考え、新しい味を生み出すことで知られる。ばら、ライチ、フランボワーズを組み合わせた「イスパハン」は、その代表作である。アメリカの雑誌『ヴォーグ』は、エルメを「パティスリー界のピカソ」と呼んだ。
1998年、エルメは自分の名前の店の第1号を、パリではなく東京に開いた。そして、2000年代に入ってパリに店を開いた。エルメやラデュレの色とりどりのマカロンは、2000年代に世界的なブームとなり、日本でも大人気になった(第5章参照)。
7. 20世紀の洋菓子の年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1891年 | 自転車レース「パリ=ブレスト=パリ」が始まる |
| 1909〜1910年ごろ | パリ・ブレストが生まれる |
| 1914〜1918年 | 第一次世界大戦 |
| 1915年 | ヨーゼフ・ケラーが黒い森のケーキを考えたという説 |
| 1924年 | 第1回MOFコンクール |
| 1926年 | アンナ・パブロワがニュージーランドとオーストラリアを巡業 |
| 1927年 | ハリー・ベイカーがシフォンケーキを考える |
| 1928〜1929年 | ニュージーランドで「パブロバ」のレシピが記録される |
| 1934年 | 黒い森のケーキの最初の文字のレシピ |
| 1939〜1945年 | 第二次世界大戦 |
| 1947年 | ルノートルがベルネーで店を開く |
| 1948年 | シフォンケーキのレシピが公開される |
| 1953年 | イギリスで砂糖の配給が終わる |
| 1955年 | ダロワイヨでオペラが生まれたとされる |
| 1957年 | ルノートルがパリに進出 |
| 1969〜1972年 | トレヴィーゾでティラミスが生まれたとされる |
| 1971年 | ルノートルがプロのための菓子学校を開く |
| 1970年代 | ヌーヴェル・キュイジーヌ、ヌーヴェル・パティスリーの流れ |
| 1989年 | 第1回クープ・デュ・モンド・ド・ラ・パティスリー(リヨン) |
| 1991年 | クープ・デュ・モンドで日本が初優勝 |
| 1998年 | ピエール・エルメが東京に第1号店を開く |
| 2017年 | イタリアの伝統食品のリストにティラミスが加わる |
| 2023年・2025年 | クープ・デュ・モンドで日本が2大会連続優勝 |
伝説と史実
よく語られるお話と、確かな記録からわかることを比べてみましょう。カードをタップすると、史実がめくれます。
🔮 よく語られる話「オペラは、ルノートルが考えた」
🔮 よく語られる話「ティラミスは、19世紀のトレヴィーゾで、お客を元気づけるために生まれた」
🔮 よく語られる話「パブロバは、1935年、オーストラリアのパースのホテルで、アンナ・パブロワのために考えられた」
🔮 よく語られる話「ケーキミックスに卵を加えるのは、主婦が『手抜き』と感じないようにするための心理作戦だった」
🔮 よく語られる話「黒い森のケーキは、黒い森の色をしているからそう呼ばれる」
製菓とのつながり
ムースと冷凍の技術
ヌーヴェル・パティスリーで広がったムースやババロアは、ゼラチンなどで固め、冷やしてつくる菓子である。急速冷凍の技術を使うと、氷の結晶が小さくなり、解凍したときも口あたりがなめらかに保たれる。今の菓子店では、ショックフリーザー(急速冷凍庫)が欠かせない設備となっている。
砂糖を減らすということ
砂糖には、甘みをつけるだけでなく、水分を抱えこむ(保水性)、微生物が使える水を減らして、くさりにくくする、メレンゲの泡を安定させる、焼き色をつける、などの大切な働きがある。甘さひかえめの菓子は、そのぶん日持ちが短くなる。ヌーヴェル・パティスリーは、冷蔵・冷凍の設備と、しっかりした温度管理があって初めて成り立つ。食品衛生の面からも、生菓子の温度管理は大切である。
シフォンケーキと油
シフォンケーキは、バターではなく植物油を使う。植物油は冷えても固まらないため、冷やしても生地がしっとりやわらかい。卵白をしっかり泡立てたメレンゲの力でふくらませ、焼いたあとは型ごと逆さまにして冷まし、生地が縮むのを防ぐ。油の性質と卵白の泡の性質を生かした、20世紀らしい合理的なお菓子である。
まとめ
20世紀の前半、二つの世界大戦で砂糖やバターは配給制となり、イギリスでは砂糖の配給が1953年まで続いた。その一方で、パリ・ブレスト(1909〜1910年ごろ)、黒い森のケーキ(1910〜1930年代)、パブロバ(1920年代後半)、シフォンケーキ(1927年)など、今も愛される名菓が生まれた。アメリカでは、冷蔵庫やオーブン、ケーキミックスが家庭の菓子づくりを変えた。
フランスでは、1924年にMOF(フランス最優秀職人)のコンクールが始まり、合格者は青・白・赤の襟を許される。ガストン・ルノートル(1920〜2009年)は、甘さをひかえ、軽く、素材を生かした菓子をつくり、急速冷凍を取り入れ、1971年にプロのための学校を開いた。1970年代には、ヌーヴェル・パティスリーの流れが広がった。オペラ(1955年、ダロワイヨ説)やティラミス(1960年代後半〜1970年代、トレヴィーゾ説)など、20世紀生まれの名菓には、元祖をめぐる論争がつきものである。
1989年にリヨンで始まったクープ・デュ・モンド・ド・ラ・パティスリーでは、日本が1991年、2007年、2023年、2025年に優勝している。ルノートルのもとで修業したピエール・エルメは、1998年に第1号店を東京に開き、「パティスリー界のピカソ」と呼ばれる。
これで第二部「ヨーロッパの菓子の物語」は終わりである。次章からは第三部として、日本の菓子の物語を訪ねる。最初は、菓子の神様と、遠い唐の国から伝わった不思議な菓子のお話である。
※ 本ページは『sweets note. 図書館』のお菓子の歴史 第9章です。製菓衛生師養成課程の科目「社会」のうち、菓子の歴史と文化にあたる内容を扱っています。

