お菓子の歴史 第2章:パンの起源

第2章

お菓子の歴史 第一部 甘さとパンのはじまり

パンの起源

時代:約1万4400年前〜紀元5世紀

はじめに

お菓子の歴史をたどると、多くの道がパンにたどりつく。小麦などの穀物を粉にし、水でこねて焼く。この技術から、パンが生まれ、やがて甘いお菓子が枝分かれしていった。ヨーロッパの言葉でも、パンと菓子は深く結びついている。フランス語で菓子職人を意味する「パティシエ」は「生地(パート)」から来た言葉であり、パン屋と菓子屋は、長い間、同じ仕事の仲間であった。

パンの歴史は、人類の歴史の中でもとても古い。最近の研究では、人類が畑で穀物を育てるよりも前に、すでにパンを焼いていたことがわかってきた。そして古代エジプトでは、生地がふくらむ「発酵」が発見され、パンとビールが同じ技術から生まれた。古代ギリシャ・ローマでは、パンをつくる専門の職人が現れ、パンとは別に、蜂蜜やチーズを使った「菓子」がつくられるようになった。

本章では、最古のパンから、古代エジプト、ギリシャ、ローマのパンと菓子までをたどる。日本にパンが伝わった歴史は、第12章と第14章で学ぶ。

1. パンは畑より古かった

1-1. 約1万4400年前のパン

2018年、デンマークのコペンハーゲン大学、イギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)、ケンブリッジ大学の研究チームは、驚くべき発見を発表した。ヨルダン北東部の「黒い砂漠」にあるシュバイカ1遺跡のかまどの跡から、約1万4400年前の、焦げた平焼きパンのかけらが見つかったのである。

項目内容
遺跡ヨルダン北東部、シュバイカ1遺跡
年代約1万4400年前
つくった人々ナトゥーフ文化の狩猟採集民(まだ農耕をしていない人々)
材料野生の大麦、ヒトツブコムギ(小麦の祖先の一つ)、オーツ麦などの祖先の植物
作り方穀物を挽いて粉にし、ふるい、こねてから焼いた
発表2018年、アメリカの科学誌『PNAS』

それまで最古とされていたパンは、トルコのチャタルヒュユク遺跡の、約9000年前のものであった。シュバイカ1のパンは、それより5000年以上も古い。

1-2. パンを焼きたくて、畑をつくった?

この発見でもっとも驚かされるのは、パンが、人類が農耕を始めるより少なくとも4000年も前に焼かれていたことである。野生の穀物を集め、手間をかけて粉にし、パンに焼くのは、大変な作業であった。

研究者たちは、「野生の穀物でパンをつくることが、人々が穀物を栽培し始めるきっかけになったのかもしれない」と考えている。もしそうだとすれば、パンを食べたいという思いが、人類の暮らしを大きく変えたことになる。

1-3. 平焼きパンから発酵パンへ

最初のパンは、ふくらんでいない平焼きパンであった。粉を水でこね、熱した石や灰の上で焼いたものである。今も世界の各地で食べられているナン、チャパティ、ピタ、トルティーヤなどの平焼きパンは、この最も古いパンの姿を伝えている。

その後、生地を置いておくと、自然にふくらむことが発見された。これが発酵パンの始まりである。

2. 古代エジプトの発酵パンとビール

2-1. ふくらむ生地の発見

古代エジプトでは、パンは毎日の食事の中心であった。主な原料は、エンマー小麦という古い種類の小麦である。

こねた生地を置いておくと、空気中や穀物についている酵母や乳酸菌が生地の中で増え、炭酸ガスを出して生地をふくらませる。これが発酵である。発酵した生地を焼くと、中に小さな気泡ができた、ふんわりとやわらかく、香りのよいパンになる。

古代エジプトのパンはよくふくらんでいて、酵母が死なないように、やさしく焼いたと考えられている。パンの形も、丸いもの、細長いもの、人や魚や動物の形のものなど、さまざまであった。

2-2. パンとビールは兄弟

古代エジプトでは、パンをふくらませる酵母が、ビールをつくるのにも使われた。そのため、パンとビールは、同じ場所でつくられることが多かった。ビールは、毎日の栄養源であり、働く人への給料として支払われることもあった。

パンとビールは、どちらも穀物と酵母から生まれる「兄弟」のような食べ物である。パン屋とビール屋が隣り合って働いていたことは、発酵という技術の共通点をよく表している。

2-3. ラムセス3世の墓に描かれたパン工房

エジプトの王家の谷にあるラムセス3世(紀元前12世紀の王)の墓(KV11)には、宮廷のパン工房の様子が描かれている。

描かれている場面内容
生地をこねる大きな桶の中の生地を、足で踏んでこねる職人
成形渦巻き形などのさまざまな形にパンを成形する職人
焼くかまどの準備をする職人
ほかの仕事料理人、肉屋、ビールづくりの職人なども描かれている

王の死後の世界でも、おいしいパンが食べられるように、という願いがこめられていたと考えられる。この壁画は、3000年以上前のパン職人たちの仕事ぶりを今に伝えている。

3. 古代ギリシャのパンと菓子

3-1. 大麦のマザと小麦のアルトス

古代ギリシャでは、パンにも身分の差があった。

パン原料特徴
マザ大麦の粉ふつうの人々の基本の食べ物。ゆでたり、団子にしたり、平たく焼いたりして食べた
アルトス小麦の粉小麦のパン。上流の人々の食べ物で、高価だった

アテネの政治家ソロンは、発酵させた小麦のパンを、祝祭日だけのものとしたと伝えられる。紀元前5世紀の終わりごろには、アテネの市場で小麦のパンが売られていたが、まだ高価なものであった。

3-2. パンから菓子が分かれる

古代ギリシャでは、パンとは別に、蜂蜜やチーズ、ゴマ、果物などを使った菓子がつくられ、祭りや神へのささげもの、宴会で楽しまれた。2〜3世紀の作家アテナイオスの『食卓の賢人たち』には、さまざまなパンや菓子の名前が記録されている。

菓子の名前内容
エンクリス生地を油で揚げ、蜂蜜で味をつけた菓子。揚げ菓子の古い例
イトリオンゴマと蜂蜜でつくった薄い菓子
プラクース「平たい」という意味の言葉から来た平たい菓子。ローマの菓子「プラケンタ」の名前のもとになった
アンピポーン月の女神アルテミスにささげた菓子。灯した小さな松明を飾った
オベリアス串(または型)を使って焼いたパン

古代ギリシャでは、こうしたパンや菓子の種類がとても多く、パン作りの本を書いた人もいたことがわかっている。主食としてのパンと、楽しみのための菓子が、少しずつ分かれていく様子が見えてくる。

4. 古代ローマのパン屋と菓子

4-1. パン屋「ピストル」の登場

古代ローマでも、初めのうちパンは各家庭で焼かれていた。パンを焼くことを専門の商売とするパン屋が現れたのは、紀元前2世紀の前半ごろである。マケドニアとの戦争のあと、ギリシャ人のパン職人がローマにやってきたことが、きっかけの一つとされる。

ローマのパン屋はピストル(pistor)とよばれた。もとは「臼でつく人」、つまり粉ひきを意味する言葉で、ローマのパン屋は、穀物を粉にひくところから、パンを焼くところまでを一手に引き受けていた。ピストルという言葉は、菓子職人にも使われた。

ローマには、パン職人の組合もあった。組合ができた時期には諸説あるが、2世紀初めの皇帝トラヤヌスの時代には、都市の穀物の供給を担当する長官の監督の下に置かれたとされる。パンは、大都市ローマの人々の命を支える大切な食べ物だったからである。

4-2. 「パンとサーカス」

ローマでは、国家が市民に穀物(のちにパン)を配った。紀元100年ごろの詩人ユウェナリスは、政治に関心を失い、ただ食べ物と見世物だけを求める民衆の姿を、「パンとサーカス(パンと見世物)」という言葉で皮肉った。この言葉は、今も、人々の関心を食べ物や娯楽でそらす政治を批判する言葉として使われている。

4-3. ポンペイのパン屋

紀元79年、イタリアのヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイやヘルクラネウムの町は火山灰の下に埋もれた。その遺跡は、2000年前のパン屋の姿をそのまま残している。

発見内容
ポンペイのパン屋30軒以上のパン屋が見つかっている。石臼、こね台、パンを焼くかまどが残っている
石臼を回す人とロバ2023年には、奴隷とロバが石臼を回していたパン屋が発表された。床にはロバが歩いた跡の溝が刻まれていた
かまどの中のパンポンペイのパン屋のかまどからは、焼かれたまま炭になったパンが何十個も見つかっている
刻印のあるパン1930年、ヘルクラネウムの「鹿の家」から、炭化したパンが見つかった。パンには「クィントゥス・グラニウス・ウェルスの奴隷ケレルの(パン)」と刻まれていた

ヘルクラネウムのパンに刻まれた名前は、パンをつくった人、あるいはパンの持ち主を示すものと考えられている。2000年前のパンに、一人の人間の名前が残っているのである。このパンは、ナポリ国立考古学博物館に収められている。

4-4. カトーの菓子

ローマの政治家カトー(大カトー)が、紀元前160年ごろに書いた『農業論』には、ローマの菓子の作り方が記されている。現存するもっとも古いローマの菓子のレシピの一つである。

菓子内容
リブムチーズ、小麦粉、卵をまぜて焼いた菓子。神へのささげものにも使われた
プラケンタ薄くのばした生地と、チーズ・蜂蜜を何層にも重ねて焼いた菓子。ギリシャの菓子プラクースの伝統を受け継いでいる
スピラ、スクリブリタ、グロビ、サウィッルムなど生地やチーズ、蜂蜜を使った、さまざまな形の菓子
ムスタケウムぶどうの果汁を使った菓子

ローマの菓子の材料は、小麦粉、チーズ、蜂蜜、卵、油が中心であった。砂糖はまだ、ほとんど使われていない(第1章参照)。

4-5. アピキウスの甘い料理

ローマの料理書『アピキウス』は、1世紀の美食家アピキウスの名前を借りた料理書で、今残っている形にまとめられたのは4〜5世紀ごろとされる。この本の第7巻には、甘い料理がいくつも載っている。

料理内容
家庭の甘味(dulcia domestica)種を抜いたデーツに、ナッツやコショウを詰め、塩をふって蜂蜜で煮たもの
パンを牛乳と卵にひたして焼く甘味パンを牛乳と卵にひたし、油で焼いて蜂蜜をかけたもの。フレンチトーストの祖先ともいわれる
蜂蜜入りのカスタード牛乳、卵、蜂蜜を合わせて加熱したもの

「甘いもの」を意味するラテン語のドゥルキア(dulcia)は、今のイタリア語で菓子を意味する「ドルチェ」につながる言葉である。

5. パンづくりの道具と技術の進歩

古代のパンづくりの技術は、粉をひく道具と、焼く道具の進歩とともに発展した。

道具・技術内容
石皿・すり石平らな石の上で、別の石を前後に動かして穀物をすりつぶす。もっとも古い製粉の道具
回転式の石臼上の石を回して穀物をひく。ローマでは、人やロバが大きな石臼を回した
熱した石・灰平焼きパンを焼く、もっとも古い方法
かまど・オーブン粘土やれんがでつくった窯。中を熱してからパンを入れて焼く。ポンペイには、今のピザ窯に似たドーム形のかまどが残っている
発酵種前に作った生地の一部を残しておき、次の生地に混ぜてふくらませる。何千年も前から伝わる知恵

前の生地を少し残して次の生地をふくらませる発酵種の方法は、天然酵母のパンとして、今も受け継がれている。フランス語では、こうした発酵種をルヴァン(levain)という。生地を「持ち上げる」という意味の言葉から来ている。

ローマの博物学者プリニウスは、ガリア(今のフランス)やスペインの人々が、ビールの泡を使ってパンを軽くふくらませていたことを書き残している。パンとビールの深い関係は、エジプトだけのものではなかったのである。

6. 古代のパンと菓子の流れ

ここまでの流れをまとめる。

時代場所パンと菓子
約1万4400年前ヨルダン(シュバイカ1)狩猟採集民が野生の穀物で平焼きパンを焼く
約9000年前トルコ(チャタルヒュユク)農耕の村のパン
古代エジプトエジプト発酵パンとビール。ラムセス3世の墓のパン工房(紀元前12世紀)
古代ギリシャギリシャ大麦のマザと小麦のアルトス。蜂蜜やゴマの菓子(エンクリス、イトリオン、プラクース)
紀元前2世紀ローマ職業のパン屋(ピストル)が現れる。カトーの『農業論』(リブム、プラケンタ)
紀元79年ポンペイ・ヘルクラネウム噴火で埋もれたパン屋と炭化したパン
紀元100年ごろローマユウェナリスの「パンとサーカス」
4〜5世紀ローマ料理書『アピキウス』の甘い料理

古代のパンと菓子は、やがてキリスト教の修道院や中世の職人たちに受け継がれていく。次章では、中世ヨーロッパの菓子の世界を訪ねる。

伝説と史実

よく語られるお話と、確かな記録からわかることを比べてみましょう。カードをタップすると、史実がめくれます。

🔮 よく語られる話「人類は農耕を始めてから、穀物でパンを焼くようになった」
📜 史実ではヨルダンのシュバイカ1遺跡では、農耕が始まるより少なくとも4000年前、約1万4400年前に狩猟採集民が野生の穀物で平焼きパンを焼いていた。
🔮 よく語られる話「ラムセス3世の神殿の壁画に、揚げ菓子をつくる様子が描かれている」
📜 史実ではパン工房が描かれているのは、王家の谷にあるラムセス3世の「墓」(KV11)。描かれているのは、生地を足でこね、渦巻き形などのパンを成形し、かまどを準備するパン職人たちである。
🔮 よく語られる話「古代ローマには、ウーブリやフラン、ベニェ、ドラジェなどのお菓子があった」
📜 史実ではこれらは中世以降のフランス語の名前。ローマの菓子は、リブム、プラケンタ、スピラなど(カトー)や、dulcia(甘いもの)とよばれた料理(アピキウス)である。
🔮 よく語られる話「『アピキウス』は1世紀の美食家アピキウスが書いた料理書である」
📜 史実では1世紀の美食家の名前を借りた料理書で、今残っている形にまとめられたのは4〜5世紀ごろとされる。

製菓とのつながり

パン屋と菓子屋は同じ根っこ

パンと菓子は、どちらも「粉をこねて焼く」技術から生まれた。製菓衛生師の実技試験に、和菓子・洋菓子とならんで製パンがあるのも、パンと菓子が同じ根っこをもつ仲間だからである。古代ギリシャ・ローマで、パンの中から蜂蜜やチーズを使った菓子が生まれたように、今も、ブリオッシュやクロワッサン、シュトーレンのように、パンとお菓子の境目にある食べ物がたくさんある(第6章参照)。

発酵という古い知恵

古代エジプトの人々が偶然見つけた発酵は、今のパンづくりの中心にある。酵母が糖を分解して炭酸ガスとアルコールを出し、そのガスが生地をふくらませる。小麦粉のグルテンが、そのガスを風船のように包みこむ。古代の人々は、目に見えない酵母の働きを知らなかったが、経験から、生地を休ませ、温かい場所に置き、前の生地を残すことで、おいしいパンを焼いてきた。

製菓理論で学ぶ発酵の仕組みは、何千年も前から職人たちが手と経験で受け継いできた知恵を、科学の言葉で説明したものなのである。

古代の菓子の材料は、今のチーズケーキに通じる

カトーのプラケンタは、薄い生地とチーズ・蜂蜜を重ねて焼いた菓子であった。チーズと蜂蜜、小麦粉、卵を使う古代ローマの菓子は、今のチーズケーキや、ギリシャやトルコに伝わる薄い生地を重ねた菓子を思わせる。2000年以上前のお菓子の味を想像しながら、蜂蜜とチーズを使ったお菓子をつくってみるのも楽しい。

まとめ

最古のパンは、ヨルダンのシュバイカ1遺跡で見つかった約1万4400年前の平焼きパンで、農耕が始まるより少なくとも4000年前に、狩猟採集民が野生の穀物で焼いたものであった。

古代エジプトでは、生地に酵母や乳酸菌が働いてふくらむ発酵パンがつくられ、同じ酵母からビールもつくられた。王家の谷のラムセス3世の墓(KV11)には、生地を足でこね、パンを成形し、かまどを準備する宮廷のパン工房が描かれている。

古代ギリシャでは、大麦のマザと小麦のアルトスがあり、蜂蜜やゴマを使った菓子(揚げ菓子のエンクリス、ゴマと蜂蜜のイトリオン、平たいプラクース)が生まれた。古代ローマでは、紀元前2世紀前半に職業のパン屋(ピストル)が現れ、ユウェナリスは「パンとサーカス」と皮肉った。ポンペイやヘルクラネウムには、パン屋と炭化したパンが残っている。カトーの『農業論』にはリブムやプラケンタが、料理書『アピキウス』には、デーツの蜂蜜煮や、フレンチトーストの祖先ともいわれる甘い料理が記されている。

前の生地を残して次の生地をふくらませる発酵種(フランス語でルヴァン)の知恵は、今も受け継がれている。次章では、中世ヨーロッパの修道院と職人たちの菓子を訪ねる。

※ 本ページは『sweets note. 図書館』のお菓子の歴史 第2章です。製菓衛生師養成課程の科目「社会」のうち、菓子の歴史と文化にあたる内容を扱っています。

タイトルとURLをコピーしました